フランス  (30 juin ~ 9 juillet 2002)  アルザス・ロレーヌ ~ リヨン ~ パリ と時計回りに
                          このページではランダムに何枚かを掲載します。

  フランスの田舎を見たくて,アルザス・ロレーヌ地方を選んだ。この地はドイツとフランスで取り合いをし最後の戦争でフランスに属している。しかし,ドイツ時代は長く食べ物や文化に多くの影響を残しているようだ。
  食べ物といえば,ドイツの田舎料理という感じでその量と味付けは繊細な大和民族の口には合わなかった。29年前の美青年時代に訪れたドイツでの食事を思い出した。薄味でボリュームだけは過剰であった。そのときは,大和男はぼやきつつ,しかし大味の茹でただけの骨付き豚肉の固まりを平らげたものだった。要するに味とかいっても体力の問題が決めてのようです。

 以下は1973年の写真を数枚。
   今は昔の遠い日々......

昔の話がでたので少し紹介したい。昭和48年秋(1973)。初めての海外への旅であった。この年から完全変動相場制に移行し,1ドルは260円台だった。9月末に到着したロンドンで第一次オイルショックのニュースをきいたが,帰国まではあの狂乱物価の幕開けとは知らず,2週間のヨーロッパ旅行を満喫していた。パスポート申請には預金通帳の提示が求められた気がする。むろん,残高は一時的に借り入れないと格好がつかなかった。そのうちの5カ国の古い写真をスキャンしたので掲載。昔は若かったのだ。それにつけても時の流れの速いこと。29年も過ぎると(比較:ストラスブール),経年変化にはたまげる。嗚呼,無情!
モンマルトルの丘に立つ寺院
     “
Sacré-Coeur
 階段に立つ若者は・・・
 
Il nest pas Alain Delon.

(パリ)
東西ベルリンの通用門・チャーリーチェックポイントから厳重な審査を受けて東ベルリンに入った。国が管理する広大な墓地。軍人用であろう
(東ベルリン)

※撮影:畏友 小松良博君(昭和59年に早逝。あまりにも早すぎた..)
アメリカからの観光客のおばあちゃんにあれこれ聞かれて説明している。
お上りさんの話なのにメモなんかしている,真面目な老婦人。

  (ロンドン)
一行のうちの4人(Komatsu, わし Inada, Tsukada)

(ストックホルムの街角)
アフリカからの移民青年と談笑する小松良博君。彼は,どこでもすぐに異国の人とトモダチになってしまう。

(ハンブルグの公園)
何か物思いにふける小松君

(ハンブルグの喫茶店)
以下は,2002年の画像・・・・・・・・・
ストラスブール市内の運河。清潔な印象である。
(ストラスブールにて)  「ガリア戦記」を思い出して,
「ここにも,カエサルは来たのですか?」と質問すると,
「どのカエサル..(Lequel Caesal...?)」と問い返された。
カエサルとはジュリアス・シーザーという特定個人のつもりでいたが,実は皇帝一般を指す普通名詞であったのだ。
街中で見かけた布団屋さん
豚よりはまださっぱりしてるかなと念じて食ってみたが,この鳥も相当なもんでした。途中で降参。
(アルザス・ロレーヌ方面にて)
さてこれも鳥ですが,いかがっしょう
(アルザス・ロレーヌ方面にて)
新鮮なネタで,Vin blancと相性がええです。
旨かった!(Merci, ITO Norio-san)
鳥兆(TORITCHO)
47 rue du Montparnasse
ブドウ畑が延々と続くアルザス
(アルザス・ロレーヌ方面にて)
このでんでん虫はスパイスが利いていてなかなか結構でした
コンダクターです。第一印象は賑やかなおなご。
(仕事柄,しょうない)
でも根はしっとりした京女どすえ。

リヨン市の遠景 リヨン市内にて リヨン駅(たぶん?)



ヴァンセーヌの森のシャトー
あまりにも有名で,誰もが撮影するノ-トルダーム寺院
Notre-Dame de Paris
セーヌの舟から眺める橋。
機能だけでなく造形的に絵になる姿