台湾  (24〜29 fevrier 2008) 
   台北〜台中〜台南〜高雄〜台東〜花蓮〜台北


■一回目の台湾旅行は,2000年の秋であった。3泊程度で台北に宿泊し,市内をぶらつき淡水までMRTで出かけた。別の日には,先住民族(タイヤル族)の地である烏来(ウーライ)までバスを乗り継いで行った記憶がある。
■当時,感じたのは,台北市内のアジア的な喧噪とざわめいた街の雰囲気であった。これを活気に満ちたと都市と評価すべきであろうと思ったが,ヨーロッパの諸都市と比べれば,あまりにも雑然とした感じで,しばらくは呆然としたものだ。市内の道路を埋め尽くすスクーター(日本で見かける原付スクーターの外観)の大群に目を見張ったものだ。通勤者,親子4人乗り,プロパンガスボンベの配達にも使っており,自動車の代用である。

●さて,今回は左の地図に示したように,台北から左回りにバスと列車で島を一回りした。最後の台北には2泊し,新北投と淡水を訪問した。台北の喧噪は8年前と同じであった。スクーターが時とともに自動車に入れ替わっているかと予想していたが,同じであった。
●今回は北回帰線より南下するので,南国風の景観にあふれているかと期待していたが,思ったほどではなかった。それでも,南部は気温は上昇し,植生も椰子の木の種類が増え,北とは一線を画していた。島全体の広さは九州よりも狭いそうであるが,南北間は400kmほどあるそうなので気候と環境にそれなりの差異はある。
●この地図ではよくわからないのだが,山地が多くまた急峻のようである。日本統治時代に「新高山」と称した玉山は3900m以上の標高であり, 島の東側は海岸に見上げるような山脈が迫っている。東西を結ぶ道路は少なく,観光ルートの開発も進んでいないようだが,山間部はどのようなものか興味はある。

 

台北市内の朝。この当たりはまだスクーターも少ないほう。

台北市内。「自由広場」

台北市内。整然と隙間なく駐車している。

台南市内。オランダ人が建てたプロビデンシャ城の跡。
鄭成功がオランダをこの地から駆逐した。鄭成功は明時代の海賊・鄭芝龍と平戸の田川氏の娘の子供である。

南部の高雄市内を高台から望む。

高雄市内の夜市。

高雄市内の夜市。赤いのがドラゴンフルーツで甘味はほどよい。 
手前の緑のが釈迦頭で,甘みが強すぎて途中で降参した。

高雄市内。リェンツィータンという淡水湖のそばのお寺?
日本の寺院と比べると,けばけばしい色調。

東側の海岸部。田植えが終わったばかり。

東海岸の台東近くの海岸。
海水の色がやや南国風であるが海岸近くだけ。

花蓮から山間部に入った太魯閣峡谷(タロコ)。全山,これ大理石。

太魯閣峡谷の東屋。放置されてワビ・サビがあり好感。

太魯閣峡谷

新北投温泉街の一画で。ツツジの花。日本で見かける者と同じ。

新北投温泉。温泉の源泉池。

新北投温泉。こんな宅配便を見ると,まるで日本のよう。

新北投温泉。かつての純日本仕様の温泉旅館。名前は「星の湯」

庭木の手入れも和風。新北投には他にも和風の名前の旅館が散見される。

再び台北市内に戻った。故宮博物館。

衛兵交代の模様。寸足らずのズボンの下のブーツは立派でバイク用に欲しかった。

左の場所は忠烈祠。英霊を祀る施設はどんな国でも必須のものだろう。

淡水の紅毛城。1629年にスペイン人が築いた。

海の方向を狙っている大砲

淡水駅から紅毛城に向かう中正路。飲食店などが犇めいている。